2019年1月、母の入院中に戦った過去記録・・。
-----------------------------------------------------------------
◆3日目◆
がんの手術後、母の生活にベットを置きたい。
ゴミ屋敷の住環境をなんとかしたい!
その気持ちから、始まった「ゴミ屋敷との戦い」。
父の担当ケアマネのいる施設からの紹介業者とはじめて三連休を戦ったが・・・・
台所から出した水もののゴミも・・・
座敷の空間づくりも、がんばってもがんばっても、掘り出しが半分に満たないところが限界だった。
庭に出した衣類は、ほとんど新品。
メンズもの、レディースもの。
日曜雑貨。
たぶん、一時期はまったであろう、避難グッズ。
他他・・・・・
青空フリマですか?って状態で三連休の夕方になった。
業者のおじさんは、施設に頼まれて、よく都営住宅の遺品整理などをしているらしいが、うちは桁違いだったらしい。
「おたくみたいな家は、初めてだ!」
と言われてしまった・・・。
「ガレージセールでも、やったら?このまま?」
と言われるが一応、コミュニティで生きている人間なので、まだ存命中はそんなのことは、できないし!!
そもそも、この青空教室の状態で1週間放置できるのか??
雨が降ったら一貫の終わりだ。
ゴミ袋に入れられた新品たちが土嚢のように積み上がり・・・。
途中で1.5トンのトラックに一杯つんで捨ててもらうが、全然減らない。
これは恐ろしい。
そして、わたしたちは疲れ果ててしまった。
背中にホカロンをはりつけて、自分のダウンコートはドロドロになっているのに何十着のダウンコートを捨てたことか。
(サイズがまず、あわないので、廃棄しかない。)
2日目から、ゴミを減らすために一部を「オフハウス」にもちこんでみた。
冬物はそのまま廃棄のつもりで持っていって、100円でも値がつけば、ラッキー!という感じで。
とりあえず、1度もっていったら、1800円くらいにはなったので、車に積めるだけ積んで3往復。
持ち込んだ数は100を越えたけど、数千円にしかならない。
「ねえ、これってなんていう病気なの?」
と疲弊した妹2号が言う。
わからないけど、病気だよな。
悲しいまでにお金を捨てている。
そして、捨てるのにお金をかけている。
3日戦ったものの畳が見えた空間はほとんどなく・・・
でも、交換したくてもできなかった照明器具が替えられたので、電気がつくようになった。
(いままでは、積み上がった空間ゆえ、照明が壊れても替えることもできなかった。)
もっと怖いのは、この替えの照明器具まで買い置きがあったってことだけど。。。。
この状態で1週間あけるわけにはいかない。
どうにかしなくては。。と思い、
わたしは仕事の上司に「介護休暇」を申し出た。
今までの「がん告知」からはじまって、数々の検査。
そして、入院、手術。
と精神的にも体力的にもギリギリだったけど・・・
この「ゴミ屋敷の片づけ」ってものが、だんとつに体力を使い、何もできなくなるほど疲弊する。
この激寒い中、朝8時過ぎから日の入りまで外作業で、手はボロボロ。
軍手は捨てるほどあるけど(捨てるけど)軍手をしてしまうと、ビニールを開くような作業ができなくなる。
恐ろしい破壊力がある。
この「ゴミ屋敷」は。。。。
こんなゴミ屋敷と戦っているとは知らない、母から、
「晴れた日がつづくから、植木に水をあげてください。
一雨くればいいのに」
なんてメールがきたら、確かに入院中でも、ぶっ飛ばしたくなったのでした。
そんな3日目。4人で朝から日没まで格闘。。。。
すべての想像を越えていた・・・。