2019年1月、母の入院中に戦った過去記録・・。
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連休明け、ケアマネさんに電話で・・・
「どうしましょう。」
という長い相談をしていたら、ケアマネさんがこの数日の戦いの経過を見にいきます!とやってきた。
最初の状態を知っているケアマネさんは、半分くらい光がはいってくるようになったモノの山をみて・・
「おお、がんばりましたね。先が見えるようなった。」
とおっしゃるが・・・
全然、普通に暮らす状態ではない。(まあ、ゴミの山で暮らせた人だから暮らせるのかもしれないけど、病院のベット空間とは天と地だ。。。)
ケアマネさんと一緒にやってきたのは、ケアマネ所属の施設の施設長さん。
「先ほどの電話を後で聞いていたので、これは。。。と思い、申し訳ないですが状況を拝見させていただきにきました。」
とやってきたので、全部を見ていただいた。
3日戦ったゆえに、かえって散らかっている1階。
魔窟の2階。
青空教室の庭。
ゴミの土嚢が重なる裏側。
裏にある開かずの離れ。
とひとしきり見ていただいて・・・介護職の専門家からの感想が・・。
「わたし25年、介護職をしていますが・・・
おたくは過去のゴミ屋敷ベスト2位ですね。
ご自宅が思ったより広いゆえ、ゴミの量が本当に半端じゃない。
そして、ゴミじゃないというのがすごい。
どれもが新品というのは、財力があるから出来てしまうんですかね?
でも、1階部分の居住空間を片づけるという娘さんの決断は正しいです。
ケアマネって、嫌われ役の仕事なので、担当の●●からも言われたといってお母さんには説明してください。
今後は、ご両親お二人とも介護ヘルパーなど外部からの介入をさせたほうがいいですね。」
と言われてしまった。
ベスト2・・・。
ちなみにベスト1のお宅は、入ったところで座る空間がなかったと言っていました。
でも、うち、これでも3日戦って、お金投入しているんですよ~~
もう、ベスト1をタイで競えると思うくらいのレベルだったんだ・・。
「ゴミ屋敷との戦い」4日目は、業者はお休みで1人で座敷で少しずつビニール袋の壁をこわしていった。
(少しだけ、妹1号が台所を手伝って、去って行ったが・・)
ちょこっと座れる空間ができたので・・・。
細かい分別をしながら、ひたすら壁をめざしていった。
掘って掘っていった先に、亡きの祖母のお針箱(もう骨董品)やら、亡き祖父の綺麗にクリーニングされた「かい巻き布団」や「丹前」がでてくると・・・
本当に涙がながれてきた。
存命中は明治生まれの祖父を「疎い」と思っていたけれど、清貧にいきた人たちの残したものをこういう形でゴミ袋にいれなければならない。
「ごめんね。ごめんね。」と謝りながら、ゴミ袋に詰めた。
「ゴミ屋敷との戦い」5日目は、業者のおじちゃんをもう一度頼んで、前日にわたしが袋詰めしたゴミをまとめて外にだしてもらった。
庭の整理ができていなかったので、そこを整理してもらい、何回目?
トラックに積み込んでもらう。
もう、5日目になるとわたしが具合が悪くなり・・・
おじちゃんに
「娘さん、あなた、ひとりでやるのは無理だよ。倒れるよ。
もう、休みなさい。」
と言われて、庭の青空教室にブルーシートをしっかりとかけてもらい、それで帰って倒れた。
この5連チャンの戦いは、ものすごく疲れて・・・
吐き気がしてわたしのほうが、お腹が痛くなって寝込んでしまった5日目の夜。
でも、母は、退院してしまう。
退院後しばらくは、母は妹1号の家でみてもらうが・・・・
何が何でもあと1週間で人が暮らせる空間を作らないといけない。
仕事なんて、どこの世界ってくらいヘビーで・・
あれ?わたし、何のためにこんなことをしていたのか?
わからなくなってきた5日目でした。