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鈴 真由.の徒然なる介護日記

介護認定について

 

父が右半身麻痺になったのは60代のことで、障碍者手帳2級の完全右麻痺になり早20年越え。

20年も在宅で過ごすと、もう、この生活も当たり前になってくるのだが、子供とちがって老人はどんどん加齢で老化していく。

20年前に初めて要介護認定を取ったときは要介護4だったのに、ずっと母まかせで認定調査を繰り返していたら、なんと後期高齢者になって要介護1まで落ちた!

 

どこも回復していないし、加齢でだんだん弱っているのに!

高齢者が増えて、介護認定をとるのが難しくなったのも事実だが、要介護4から要介護1ってひどくないか?と両親ががん告知されてダブル疾患持ちになってからは私が認定調査に同伴して1段階ずつ介護認定を上げる努力をしてきた。

 

かなりマシマシで家族の進言を伝えたが、機能的には全然、良くなっていないのになかなか要介護3の壁をやぶれず何度もトライした。

(おかげで認定調査の対応のプロになっている)

 

前回の介護認定調査でなんとか要介護3の判定をいただき、これで万が一の時、特養入居の資格ができた。と思ってはいたが、そんなにすぐではないだろうとも思っていた。

 

私的にも20年の介護日常に慣れて、いつの日か、うちの親も施設入所になるのだろうな。とぼんやりとした未来のことを考えていたもののまさかこんなに急展開になるとは思わなかった。

 

正直、父がもっと素直で感謝の心をもってくれていたら、在宅介護も継続できたかもしれないのだが、いかんせん横柄な態度で頑固。

家族には(特に母には)怒鳴り散らすし、自分の気に入るようにしか動かない。

普通食も食べさせられなくなり、食べ物にも注意が必要になる。

おむつも紙パンツも拒否して失禁しほうだい。

朝から勝手に新聞を取ろうとして転倒。

というような日常に加速がかかりギブアップになった。

 

どう考えても80代同志の要介護1が要介護3(暫定要介護4)を介護するのは無理であろう。

 

なのでいきなり施設探しをすることになったが、そんなに簡単に入れるものでもない。

と思っていて3月は夜な夜なケアマネに教えていただいた実家の市内の特養の入居希望申請書をまるで転職の履歴書をつくるように毎夜、書いていた。

 

射程範囲としては実家の市内。

隣の市である私の市内。

さらに隣接している市内の特養をとりあえずエントリーしておこうとそれこそ、仕事帰ってきてから、書類を作る毎日。

 

特養の待機がかなりあると聞いていたので、一応、エントリーはしておいてケアマネとはデイケアで通っていた老健のショートのリハでしばらくつなごうと打ち合わせしていたら、

思いのほか反応がよくて、申込して数日でお返事をいただいた。

 

これってどういう感触なのか?

お電話をいただいたが、判別がつかずケアマネ経由で聞いてもらったら、いきなり入所は無理だが特養ショートから入所というコースができそう!ということで調整した。

 

怒涛の3月。

もう、この各関係者との調整を仕事の合間と休日にするだけでへとへと。

 

なんとか昨日、入居していただき初日は問題を起こさず過ごしているようでよかった。

 

介護って実質ケアだけでなく、どんどんと手配して連携して担当者会議して決めていくという決断力がすごい求められる。

 

その間も日々のケアは続くので、ちょっとの迷いと遅れが回りの人間の自滅になるので必死で対応したが、体にきますね。

本当・・・

 

 

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