Kai ! GO ! Life

鈴 真由.の徒然なる介護日記

PLAN75

珍しく映画ネタ。

私はドラマ好きでサブスクでNetflixやアマプラをだらだら見ている人なのだが、

たまたま「PLAN75」という映画を見てしまった。

happinet-phantom.com

 

少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン75>が国会で可決・施行された。様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる
当事者である高齢者はこの制度をどう受けとめるのか?若い世代は?<プラン75>という架空の制度を媒介に、人は何を選択し、どう生きていくのかを問いかける作品 (HPよりコピー)

 

80代の両親を介護する単身の五十路女が見ると実に重い。

そしてきつい。

 

満75歳から自分が望めば「PLAN75」という自死を選択できる世界線の日本。

この「PLAN75」の受付がまるで携帯のキャンペーンみたいに簡単に屋外や役所で行われていて・・・。

あまりにも軽い。

そしてどうやら、この「PLAN75」を申し込むと最後の日までに10万円のお小遣い?が渡されるらしい。

 

「この10万円は最後の楽しみに好きに使ってもかまいませんし、ご葬儀費用にされる方もおります。」

 

なんてスマホのキャンペーンプランのように案内される。

この10万円という金額もこれから死にゆく人に与える金額としてどうなのか??

定額給付金じゃないんだから。

 

最後の日までは、電話オペレーターによる1回15分(何回なのかな?)のカウンセリング?愚痴聞き?電話でのサポートがある。

この電話の対応をしているのは若い20代の派遣のような人たち。

 

「もちろん何かあれば、担当以外で24時間、カスタマーサービスが対応します。」

 

って、これも旅行のサービスのような対応。

 

最後のプランもいくつかランクがあるようだけど、一番安い?無料?のコースは亡くなったらそのまま合同埋葬のような扱い。

 

自死の最後の施設は献血ルームのようにカーテンで仕切られたベットが並んでいて、

そこで、麻酔投与のように最後を迎える。

「吐き気止めのお薬です。」

と死ぬための吐き気止めを看護師?が用意してくれる。

 

亡くなると職員が持ち物やベルト、上着などを脱がして分別してゴミ?にまとめていく。

遺体はまとめて業者送りで埋葬?(そのあたりはぼかされていた)

 

すっごい事務的に「死」をご案内している。

それを国が認めている日本。

 

この「PLAN75」を選ぶ人たちが、余命宣告されているとか?病気があるとか?というより貧困や人生をあきらめてしまった老人が多いように描かれていて、別にお金さえあれば一人でも生きていけるのに。。と思う人が自死を選ぶ。

 

独居の老人が多く、孤独でもある。

単身者の貧困で生活保護もままならない。などなんだかやるせない思いになった。

78歳や75歳になったばかりの人が旅行に申し込むように「死」を申し込んでいく世界。

高齢者社会になり、若い世代に迷惑になるから老いたものは処分する。

(あくまで本人の選択だけど・・)という映画だった。

 

主人公の倍賞千恵子さんは78歳でもホテル清掃をして働いていたが、そこを解雇になって職探しをしても見つからず臨時の交通整理をしていたりして仕事をつなぐ。。

住居の賃貸が借りられなく不動産屋を何件も回るうちに友人が独居で死んでいるのを見て絶望感を感じて「PLAN75」を申し込む。

 

私の父母よりずっと若いのに。。

ただ子どももいなくて単身で頑張っているため、経済的に苦しい。

78歳で毎日、働くってきついと思うけど、現実、工事現場の交通整理やショッピングセンターの交通整理をしているのは老人が多い。

 

若者?は「PLAN75」を勧める、契約させるのが仕事なので本当に携帯販売感覚で接客申込を仕事としてこなしていく。

電話オペレーターも死を目前にした人に寄り添え。とは言われてもキャンセルが出ないような対応を教えられてそれを業務として遂行していく。

 

ただ、営業担当をしている若者の実の叔父が申込に来て、彼が最後の施設まで叔父を車で送っていく間に自分が勧めている仕事ではあるが、叔父がこのような死を選んだことへの葛藤が芽生えて、急いで折り返すが間に合わなかったり。

様々な視線から考える重い問題だった。

 

確かに長寿国家になり平均寿命は男性81歳、女性87歳と言われているが、現実、その年齢まで元気で過ごしているわけではない。

老後の介護問題だって、お金ありき、身内ありきというのは実親を看ていてもしみじみと感じる。

 

お金を払って、外人のヘルパーに看てもらい、食事も制限され、動けないからだを支えてもらって生活することが果たして幸せなのか?

私自身も父を見て考えることが多々ある。

それでも、生きていてほしい。生きていたい。と思うからそうしているのだが。。

お金が続かなかったらどうなるのか?

 

それより独り身で仕事も不安定な私なんてまさにこの「PLAN75」じゃないか。

と思ってしまったが、体が病気でもないのに自死を選ぶという選択もどうなんだろう。

 

ありえないようで、ありえそうな世界。

2025年には国民の5人に1人は75歳以上になるという日本。

シニカルだ。と笑っていられないほど重い映画だった。

 

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介護認定調査

父の介護認定調査に立ち会った。

昨年も介護認定調査をしたはずだが、あれは区分変更のために依頼したもので

今回は施設の相談員さんから連絡が来た。

「施設内で調査員を受けて対応してしまっていいでしょうか?」

と。

 

この介護認定調査ってやつを何回、私は立ち会ってきたか?ってくらい、この5年間、経験してきた。

今までは自宅での調査だったので調査員への私からの増し増し?申告で介護度を勝ち取ってきたが施設側に任せてしまったらどうなるのか?

でも、この1年近くは施設内での生活のため実情を知っているのは現場のヘルパーさんや施設の方だ。

なので、調査に立ち会うという形で施設内で認定調査を行ってもらった。

 

いつも事前に

 

「できる。できる。って言わないでね!」

 

と釘をさしておくのだが、今回は父の食事が長引いていて父に釘をさすことができなかった。

 

認定調査員が父にいくつか質問をして、手足の動きを見た後、施設の相談員さんと私と調査員で別室で話をした。

 

父は名前と誕生日、今の季節や文字を読むことは出来てしまっていたが、普通に年齢がわからなくなっていた。

 

日常生活に関しては私より相談員さんの方が詳しく答えてくれてた。

実際、この1年弱でものすごく動けなくなっている。

 

かろうじて杖で歩こうとするが、これは本当なら全部車椅子にしてほしい。というのが施設側の意見。

ただ本人が歩こう!という意思があるのでスタッフのいる時は必ず見守りの上、ベットからトイレまで歩いているらしい。

なので実際に転倒も多く、私のところまで連絡が来るレベルでもこの1年以内に数回あり。

それ以外の軽い転倒は日常でかなりあるらしい。

 

トイレに関しては最近は、ほぼ介助が必要で・・。

本人からの申告(ナースコール)で人を呼ぶことが多くなったという。

前は絶対に嫌がっていた車椅子を持ってこい。と言うし、ズボンなどの上げ下げも人にやってもらわないとできない。

大の時のお尻拭きも出来ない状態。

でも、おむつや紙パンツは夜間しか履かないらしく(これでも進化なのだが)昼間は布パンツで頑張っているため、失禁も多いという。

 

お風呂は椅子介助浴。

体を洗うのはほとんど介助が必要。

口腔ケアも磨き残しがあるので見てもらっている。

週に1度は歯科医師がきているらしい。

 

食事は全部、軟食。

それでもむせ込みことが多いらしく、スタッフが近くで見守っているという。

一度に口に運ぶ量を減らすためにスプーンを小さくしたり、いろいろ工夫してくれているようだ。

薬はかなりの数を飲んでいるが、これもスプーンにのせてもらって飲み込みをスタッフが都度都度、確認しながら行っているという。

 

認知は少ないのか?割と頭はクリアなのだが、脳梗塞の麻痺による後遺症のため

言葉が出てこない。

そのため会話を理解するのがとても難しく、私でも何言っているのか?

わからないため、現場のスタッフは???ということが多いようで、そうなると父はもう話すのをあきらめてしまうという。

 

入所当時のような暴言は減り、穏やかになったとはいえ男性スタッフの言う事は聞かないことが多いらしい。

以前のように怒鳴る力はないが、介護拒否を起こされると誰も手が出せなくなるという。

 

相変わらず、施設内行事への参加は皆無。

食事以外はほとんど居室で寝ている。(横になっている。)

自宅に居たときのように相撲をみたり野球をテレビで見ることも減りほとんど横になっていることが多い。

 

食事は全量、食べているのだが、軟食になって水分がおおくなっているせいか?

この1年近くで体重が10キロ近く減っている。

43キロしかなくなっている。と聞いて私が絶句してしまった。

あんなに大きく見えた(昔)父より私の方がずっと重いじゃないか!!

入所してからみるみる痩せていったので、心配していたのだが数字を聞いて私の方がビックリ・・。

 

通院は私に介助が不能になり、行けなくなった。とも告げた。

自宅には要介護1の母がいて、母は在宅介護だが、だんだん足腰が弱ってきている。

と介護事情については私が伝えた。

 

現状、要介護4。

相談員さんが見ても要介護3はついておかしくない状態といわれている。

果たして要介護4キープになるか?

 

介護度が高いのは嬉しくないが、使える介護保険の点数の差もあるので下げられると金銭的負担が増えるのだ。

 

去年の今頃より全然、弱ってしまった父。

今年初の面会は介護認定調査の立ち合いだった。

 

私のことはわかっていた。

そして、年末に飾った「食べられない鏡餅」がいまだそのままだったので、引き出しにしまってきた。

 

施設入所したから弱ったのか?

年齢的に仕方ないから、施設入所の判断は正しかったのか?

微妙なところだが、今の状態を在宅では看られないので妥当な判断だったのだろう。

 

要介護はいくつになるのか?

5はつかないけど、4がつくか?

私にとってはいろいろ複雑だけど、真剣勝負なのだ。

 

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ケアマネ退職による事業所変更

担当してくれていたケアマネさんが、急病により退職されることになり急遽、ケアマネ事業所ごと変更になる!と連絡が来た。

 

え!!!!って驚く。

 

退職されるケアマネさんとは1月の中旬に1月の訪問予定をSMSでやり取りしていたのに1月の訪問予定日になってもいらっしゃらなくて、事業所に電話をしたら「急病で休んでいるので代わりに行きます!」と代わりのケアマネが来てとりあえずつないだのだが、その後1週間足らずで退職になったらしく、2月の上旬に上記のメッセージが来た。

 

退職により他のケアマネに変更というのはわかるが、事業所のケアマネ1人あたりの担当利用者数が上限を超えるため同じ事業所の中で引き継ぎができず、他の事業所を移管して受けてくれるところに割り振る。というのだ。

 

ケアマネ1人における担当上限の規制とか、事業所側の理由は重々承知した上で

 

「ええええええええええええええ!!困ります!!」

 

と叫んだ。

 

私が父母のケアマネと関わるようになって5年超え。

最初は父のケアマネだった方(前々任者)と関係を築いて、その方に母も担当してもらうことにしてきた。

実家のゴミ?片付けの時は、事業所の施設長や隣に併設している包括の方も何度も私と四頭会談をゴミ屋敷の中で繰り広げながら今後のことを考えてもらった。

片付けの時にヘルパーは雇えない!!

という私にお手すきのケアマネたちが総出で助けにきてくれたりしたおかげで実家の内情については施設内で情報共有してもらっていた。

 

ヘルパー事業所も併設している特養の中にあるケアマネ事業所なので、昨年、父が退院後、大変になった時は施設内でヘルパー長さんと相談して朝イチから臨時派遣をしていただいたりと横の関係をフルに使って戦ってきたこの5年なので、事業所との関係を0に戻されるのがとてもきついのだ。

私にとって・・。

しかも紹介された次のケアマネの事業所が今度はマンションの1部屋を借りているような事務専門の事業所で・・。

もちろん、ケアマネのケアプランはしっかり作ってくれると思うのだが、何かあったときに駆け込むことが今までの特養併設の事業所とは違って出来ないと思えた。

 

「何かあったら、〇〇ホームに駆け込めば、隣にケアマネもヘルパーもいるから、

電話するなり、頑張って行くなりしてね。」

 

と常々、母に言い聞かせているのに。。。

 

今って一人のケアマネが担当する利用者は何十人?

なので、前のケアマネさんの担当だった利用者は全員、他事務所に移管されるらしい。

 

退職することになったケアマネさんとは前々任から昨年の2月に引き継いで、引継ぎしたとたんに、父が急変で入院・入所などいろいろ大変なところを対応してもらい、お互いの関係が築けてきたばかりなのに・・・。

(前々任の方と4年、タックを組んできたので昨年のケアマネ変更も心配だったのだが、前々任者は予定退職だったので仕方なかった。)

 

たぶん、要介護の母本人はあんまりどうでもいいのかもしれない。

最近、よくわかっているのか?わかっていないのか?わからない状態なので。

回りでいろいろ考えて相談して手配して支えていく私にとってケアマネは命綱なのでここの相性が合わないと滅茶苦茶苦しい。

 

病気では仕方ないし、無理は言えないんだけど。。

それにしても病気退職にしては、早すぎだろう。

休みだしてから退職まで2週間ないぞ。

前任ケアマネさんの病状も気になるが、この事業所変更は私にとって大打撃になっている。

 

どうしよう・・・

 

 

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コロナは続くよ。どこまでも

父の面会に行けていない!

ヤバい!

誰も行っていない!

と思って、面会予約を入れる。

そうしたら、施設の他フロアでコロナ陽性者が出たらしく面会制限をかけていたらしい。

今は全面禁止にしないで、陽性者の出たユニットだけ閉鎖していたようなのだが、今週に入って父のユニットの利用者さんから陽性者が出てしまったらしく父のユニットと父の階の面会を制限することにしたらしい。

後日、相談員さんからメールがきた。

 

スタッフさんたちは、ビニールエプロンや手袋など厳重体制で一人一人に対応してくれているようなのだが、面会者に防護服?を着せるわけにはいかないのと

面会者にうつるリスク。

面会者からさらに広まるリスクを考えると弱者の利用者がメインの老人施設では娑婆のようにゆるゆるではいけないのだろう。

 

昨年から、すっかりコロナは収束?コロナ禍は過去?的になり、電車の中のマスク率も

半分以下、旅行再開、飲み会再開はいいのだが、ウイルスは感染症分類を変えられてもなにも変わっていない。

 

病院も面会を再開したり、入口チェックが緩くなったりしているが、いざ院内感染が起こったら、それは大変なことだ。

なので、介護施設や医療施設は割と変わらずに厳戒態勢をひいている。

 

ただ介護施設だけは、家族と引き離して面会も止めると利用者の認知症がすすんだり体調が悪くなったりするので、できるなら家族面会は行えるようにしたいのだろう。

 

1カ月会っていない父は大丈夫だろうか?

とりあえず、ワンコ写真の手紙と鉄道の本を買ったので、受付に届けてこようとは思っている。

 

体は動かない。

外に出られない。

一人隔離されたような居室ですごす1日は長かろう。

とは思っているのだが、なかなか行けなくてごめん。父よ。

 

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デイサービスその後

母のデイサービスを始めて3カ月。

週1回は曜日固定。

もう1回は今は空きをみて案内してくれている。

 

あんなにデイケアは嫌だ!と拒絶していた母だが、最近は楽し気に通っている。

ただ、人生でパートもしたことがないので、決まった曜日に決まった時間に出かける習慣がない。

父がいなくなって、朝のペースもゆっくりになっていたところ、朝9時前のお迎えだ。

寝坊をしたりしながら、必死に起きている。

娘の私のほうが生活リズムが崩れているので母にはとてもよいことだ。

 

そして、いろんな曜日に行ってみると、なんてことでしょう!

同じ自治会の知り合いの方が結構、来ている。

曜日が違って会えなかったが、今は1日は空きを見て参加しているので、違った曜日に行くと知り合いに会えるらしい。

 

みなさん、めちゃくちゃ動けない人たちではないし、もう何十年も地元での知り合いだ。

 

結構、楽しくなってきたらしい。

良いことだ。

良いことだ。

雨の日もお迎えが来てくれるし、寒くてもエアコンの効いている空間で簡単運動できるので、冬場にはもってこいだ。

 

半日行くと、午後は横になっているが、冬が来る前に初めて正解だった。

家にいるとなんだかんだで全然歩かないので、少しは効果があるかな?

 

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大腸がん寛解

1月4日に検査をした外科(大腸がん)の結果を聞きに行った。

いままで4年半、ずっと大丈夫だったのできっと大丈夫!と思いつつ、でも油断ができないのが再発なのでドキドキしながら母と一緒に診察待ちをした。

 

受付をして呼び出しキーを渡され、順番がくると音楽で知らせるシステム。

なぜか?その音楽がglobeの「 Departure」(とあと一曲は忘れた。)なのが毎度不思議だった。

 

 

今回はギリギリに行ったので待ち時間も少なく、診察案内が来た。

外来で5年間お世話になっている男性の先生に結果をうかがう。

 

「転移なし、腫瘍マーカーも大丈夫なのでこれで外科は卒業になります。」

 

と卒業宣言をいただく。

 

ただ大腸がんの場合、また、おこる事があるので2年に一度くらい内視鏡検査をしておいたほうがいいのだが、母は高齢なので無理にとは言われなかった。

その場合は外科ではなく、消火器内科で受付をしていくことになる。

 

何はともあれ、ガンの手術から5年。

無事、寛解を迎えた。

75を過ぎてからの発病で、5年後なんて生きているのか?

それすら不安だった5年前から、順調にここまで来たことに感謝である。

 

まだ、糖尿の内分泌科には定期通院があるので、この病院からは卒業できないのだが

よかった~

 

5年前に告知されて、検査検査を行った時は母もショックで弱気になり

 

「もう来年の春の桜はみられないかも。。」

 

と言っていたのだが、しっかり5年後も桜が見られそうだ。

 

その後、お祝い?でブロンコビリーでお肉を食べてくる。

 

肉よりサラダバーとドリンクバーが大好きな母は、ふらふらしながらも

何回もおかわりにいきながら、バクバクと食していた。

 

「サラダバーに取りに行けなくなったらお終いよ!」

 

と言いながら。。

 

母は治療から5年で寛解にて外科を卒業の大腸がん。

父は何も治療をしないまま5年を経過して「もう、無理に来ないでもいいです」と言われて経過観察も卒業する腎細胞がん。

 

どっちが強いのか?

わからないけど、二人とも告知から5年を無事に過ごして生きている。

これは凄いこった!

 

 

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防災グッズ

2024年は元旦から能登で大地震という予想できない展開の年明けとなった。

元旦の夕方に震度7地震津波なんて、自宅で新年初の夕餉の団欒の支度をしていた人も多かっただろうに・・

本当に言葉にできない気持ちになった。

 

大きな地震があるとにわかにブームのように防災グッズの備えをしなくちゃ!

となる人間たち。

私もその一人だ。

(母なんてもっとその一人だけど・・)

 

私自身は犬もいるし、避難するというより立て籠り型の防災対策をしているが、

それも平時の中にいるとついつい御座なりになってしまっているので見直さなくちゃ!と思いつつ・・

実家に一人になった母の防災グッズを作り出した。

 

母の物貯め?買い物傾向にもこういう「防災ブーム」があったようで、5年前の大廃棄の時、かなりの数の防災グッズのかけら?が出てきた。

(水をためるポリタンクとかペットボトルの水とか。。

とにかく賞味期限の切れた水物が死ぬほど出てきた。)

でも、実際、あのゴミ屋敷の中で何かあった時、それらは見つけられることは無理だろうし、最近では母も買ったことを完全に忘れている。

 

それより、今回倒壊した民家を見ていると

 

(ああああ、実家は間違いなくつぶれる。

それでなくても物の重さで2階の天井が抜けそうなのに・・・)

 

と思ってしまった。

 

最近ではすっかり立ち上がりも一苦労になった母が大地震の中、迅速に逃げられるとは思えない。

しかし母は、かなり運が強い人なので万が一、物の倒壊から免れて!大きな揺れが収まった時に持ち出してもらう防災グッズをそろえることにした。

 

もう80過ぎのヨタヨタの老人にいろいろ持たせるのは無理!

なので、大きな揺れが収まって生きていたら、這って玄関まで行き靴を履き替えて近所の築浅のおうちに住む(築20年以内のハウスメーカーの住宅なら耐震構造があるはずなので)お友達のおばさんのうちまで行って

「一人で怖いから一緒に居させて!」

と頼ってもらうコースを考えた。

 

その際、一番大事なのは頭を守るヘルメットと足元の靴。

でも母は普段から玄関で靴を履き替えるのもモタモタと時間がかかる。

なので、コンパクトになるワークマンの靴を1足買ってきてリュックにいれた。

ヘルメットも一緒に買ってきて、玄関に置いておくことにした。

 

 

ダイソーのリュックはあまりにペラペラだったのでデイパックも軽いものをワークマンで見つけた。

この中に入れてあるのは主に「靴」。

 

玄関でこの2つを持って、そこで靴を履きかえずに玄関にあるサンダルでもなんでもいいからとりあえず履いて外の安全なところで靴を履き替える!

そして近所のお友達の家まで行く。(50メートル先だし)

これが出来ればGOODだろう。と思いリュックに詰めた。

 

靴を入れる巾着の中に多少の防災グッズを突っ込んだ。

 

ティッシュ

・ウェットティッシュ

・マスク

・携帯トイレ

・携帯アルミブランケット

・携帯レインコート

ばんそうこう

・軍手

・母の常備薬を1週間分、ジップロックにいれさせて

・私が自分用に買っていたピンクのビニールポーチに介護保険証や後期高齢者証、

マイナンバーカードのコピーなどの身分証明書の類とお薬手帳のコピーを入れる。

ネットから拾った折り畳み式の防災カードを印刷して娘たちの電話番号とケアマネの電話番号などを記入したものを1つにまとめた。

・母が気にしている尿取りパットもポーチに数個入れた

・あとは気休めに羊羹1本

・リュックの外にホイッスルと懐中電灯を首掛け式にして結んでおいた。

 

靴を履いてしまうとリュックはかなり軽くなる。

近所のお友達のところに行ければ、お友達も老夫婦なれど一緒に動いてくれるだろうし、腐っても都下なので市町村も迅速に動くだろう。

避難所も実家から徒歩5分(私の足で)の小学校なので、そこに行けば配給もあるでしょう。と思い重い水物は入れなかった。

 

万が一の時はこれすら、頭になくなるのかもしれないけど・・・。

玄関においておけば、嫌でも外に出る時に目に入るし・・

最低限の「80歳防災リュック」をまとめることに力を使ってしまった。

 

こういうものが使われないことを祈りつつ、今年はなんだか年明けからあっちこっちで

地震が起きたり不穏なので作ってみた。

 

たぶん、母は自分で作っていないのでリュックの中身は忘れるだろうし、、

ヘルメットすら被る練習をしないといけない状態なので、時々、自宅避難訓練でもやろうかな・・・。

 

動けるうちはこれで頑張ってもらおう。

災害時に私がすぐに駆け付けられるとは限らないし、駆け付けられない可能性の方が高いので・・。

 

ちなみに全部、ダイソー、ワークマン、100均、無印などで出来ています。

インスタ映えしない「後期高齢者用防災リュック」です。

 

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