Kai ! GO ! Life

鈴 真由.の徒然なる介護日記

イライラがとまらない

一人暮らしになった母は、買い物はワンサカとしてくるのだが、もう自分で調理をするのが面倒くさくなっている。

なので、私が夕飯を作りに行って一緒に食べたり、自宅で作って何かを持っていったり、街中のデパ地下でちょっとオサレな総菜を買ってきたりしている。

(今はぷ~太郎期間なので、夕飯の支度の時間に間にあうためできるのです。)

 

実家で何か作るときは、まず初めに、冷蔵庫や洗濯機やゴミ箱の中の腐敗した食材を捨てるところから始まる。(洗濯機やゴミ箱の中に野菜がはいっているんです。。)

そもそものスタートからイライラする。

先日、やったばかりなのにすぐに物がたまり、捨てる作業が入る。

そして、母がいると、私が分別したものを

 

「これは捨てないで!」

「これは私が食べるから!」

と捨てさせない。

 

いや~自分が食べるからって賞味期限ががっつり切れているものはダメだし、

ネズミに齧られた野菜なんてもっての他だ。

それでも聞き分けない。

 

調理を始めると、母がふらふらと近くをうろつき、何かをしたがる。

正直、邪魔なのだ。

台所の使い方、こだわりってそれぞれがあるので、母は気に入らないと

イチイチ文句を言ってくる。

 

「もう、うるさいんだよ。あっち行っていて!」

 

とついきつく言ってしまう。

 

戸棚を開ければ、雪崩がおこる。

使おうと思う食材がみつからない。

鍋は焦げている物や、年に1度しか使わないような鍋だらけで一つ手にとるのに

何手間もかかる。

わたしはこれが一番きらい。

 

そんな状態なので母に対して、きつい言葉をいいながらイライラして食事作りをしては片づけをしている。

 

作った後、一緒に食べるのだから、

イライラしないで優しい言葉をかけて、楽しく食べればいいのに。

といつも帰ってから後悔するが、これがなかなか直らない。

後悔先に立たず。

 

どうして優しくできないかな?

イライラしないほうが、おいしく食べられるのに。

こうして一緒に自宅で作ったご飯を食べられるのもいつまでできるか?わからないのだから。。。

と思うのだが、優しくなれない。

 

実の母娘だから、喧嘩したり、きつい言い方ができるのだが、、、

優しくしたいと思ってはいるんだよ。

わたし。

でも、あのゴミ屋敷の台所で調理するとイライラが止まらない。

 

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経過観察最後の検査

がんは手術後5年間、転移や腫瘍マーカーで数値をみて何も起こらなければ原発がんが寛解した。とみなされて定期検査から卒業できる。

 

母が大腸がんの手術をしたのが5年前の1月7日。

幸いリンパ節への転移がなかったので抗がん剤放射線治療もなく手術だけでその後の経過を定期的に見てきた。

その最後の検査が年始一番にあった。

 

大腸がんなので大腸内視鏡検査が入る。

この検査は医療検査に恐怖のない母が唯一嫌がる検査なのだが、なにせ大腸がんが原発なので年1ペースでやってきた。

今回はラスト検査?となるため、前の定期検査の時に予約をとったので予約から検査までが半年も時間があった。

一応、注意書きと下剤の薬やあの大量の腸を洗い流す水?は購入させられたのだが、前日の専用の食事がなかった。

私も昨年の6月に初大腸内視鏡をやったのでその時に前日に食べる食事セットを買わされたのだが、いいのかな?と思いつつ、腸内で消化できない食物が残って検査がうまくいかなくても嫌ので、検査食の「クリアスルー」をAmazonで買って渡しておいた。

 

私はめちゃめちゃ具合の悪い時に食べさせられたので、このクリアスルーは、ほとんど食べなかったけど母は

「物足りないわ」と言いながら完食していた。

 

当日は大腸内視鏡と造影CTの検査だったのでいつものように私が車に乗せて同行。

承諾書も書かなきゃいけないしね。

この5年、何回、承諾書のサインを書いたのだろう。

いつの間にか、親の検査の承諾書にサインをするようになってしまったんだな。と思いながらいつもサインする。

 

予約制とはいえ結構、遅れるので私はひたすら院内で待ち。

2つの検査があるので結構が時間がかかった。

母はもちろん、朝から何も食べていない。

大腸内視鏡検査のあとしばらく回復室で休んで出てきた母が一言。

 

「おなかすいたわ、何食べる?」

だった。

そういえば、検査前に

 

「終わったら何を食べるか?考えておいてね」

 

と言っていた。

 

いや~毎度ながら、この母には圧巻だ。

私なんて、検査後しばらくお腹が痛くて何も食べられなかったのに。

この日は大腸内視鏡検査後1時間で天丼(毎回、天丼なんだよね)を完食している母。

本当にすごすぎる。

 

いままで大丈夫だから?と安心はできないが寛解まで最後の検査。

無事、OKが出ることを祈るばかりだ。

 

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マヨネーズ40本!

年末、実家の台所の掃除?をした。

あまりに酷くて、換気扇も油だらけ、ガス台まわりも油まみれの上、物がまわりに積みあがっている。

そして、床におかれている食材がネズミに齧られまくっている。

母がためまくるビニール袋が緩衝材のようにあっちこっちに突っ込まれていて・・・

とにかく見るに堪えない。

せめて年末にできる範囲で。。と妹2号と廃棄?掃除?を始めた。

 

ゴミ置き場なんだか、食べ物置き場なんだかわからない食材の中から腐っているものを廃棄。

未使用なのに汚れまくって捨てていいと思える洗剤や洗濯機クリーナーなどをまとめる。

(洗濯槽掃除なんてしないのに、洗濯槽クリーナーが8本もでてきた。。)

換気扇は手が出ないのでフィルターカバーだけ交換。

レンジ回りに敷いているアルミシートを交換。

レンジフードを新しくする。(全部在庫あり)

 

そして、床に散乱する調味料を廃棄していく。

収納庫の前に山ほど積んであるのでそこから捨てないと収納庫の扉が開かない。

そして、床においてあるペットボトルのしょうゆやみりんなどはペットボトルをネズミが齧っていて床に液体がもれて固まってべとべとに。。

もう、地獄です。

汚くても収納扉の前にあるものは割と賞味期限が新しいものが多い。

新しいのだが、あまりに汚くてとても食べる気がしない。。

食べさせられたらかなわない。。

 

なんとか廃棄廃棄で振り分けていき、収納庫の扉をあけると・・・

ゴチャゴチャにつっこまれたジャム、調味料、他他。

ここは5年前、2018年以前のものは廃棄したが、それすら5年前。

マヨネーズが目について、賞味期限を見ると1年、2年前は当たり前のものが山積みになっている。

すでに変色しているし。。

これらは中身をだして分別しない限り、産業廃棄物になるのだ。

でも、分別している時間がない。

一番怖いマヨネーズだけ(他も怖いんだけど、ケチャップよりマヨネーズの方が何となく怖い)、ボンボン外に放り出していく。

それから、瓶入りの巨大ジャムが大量に出てくる。

(他にもあります。ケチャップもドレッシングも醤油もみりんも果てしなく。。。)

 

母は

「なんでもかんでも捨てないでよ!」というけど、こんなの食べられないよ。。

寒い中、年末のゴミの収集もないので外に段ボールを作ってまとめておく。

なんとマヨネーズが40本以上!!!

(家の中にはさらにある・・・・)

こんなにマヨネーズがある家ってあるのか??

5年前にあんなに捨てたのに。。。

絶望感に襲われながら、扉の前のドロドロになった床を掃除する。

 

もう、この家の廃棄はいたちごっこだね。

疲弊するという言葉では表現できない。

そして、こんなにたくさんのゴミを市のゴミ収集が持って行ってくれるのか?

とても一般家庭のゴミの量ではない・・・・

大掃除以前の問題。

 

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年賀状

 

年始、父の年賀状を作る。

昨年までは母が印刷した年賀状にチマチマと宛名を書いていたのだが、

もう、本人、施設入所だし。

もちろんこの20年、自分で書いていないし、どうしよう。となったが、もらうのを楽しみにしているのと妙に義理堅いところがあって、デイの職員さんや昔のヘルパーさんにまで出しているので今年は私が作ってだすことにした。

(ヘルパーさんなんかは、正直、もらってもは迷惑かもしれない。)

 

で、今年はこちらからは出さず、年始に届いた年賀状に返信していくことで年賀状の断捨離をすることにした。

リストは昨年頂いた方のをまとめてあるので、ここから宛名印刷をかけて、来たら出す方式に変えた。

裏面も印刷をたのまず、私が適当に作った。

業者の定番印刷だと面白味もないし、定例の決まり文句だけの文言で本当に形式だけ出していたという感じになるので私は嫌いなのだ。

 

簡単な年始のあいさつ文と一言、

「昨年から市内の特養で暮らしています。」と近況をいれた。

この文言からして、本人が書いていないことは明らかになるので来年から送ってくるのをやめる人も出てくるだろう。

 

こちらからあえて、年賀状じまいはせず自然に減少するのに任せることにした。

なので今年もいつもよりグッと減った。

(例年、こちらから出すので仕方なく返事をくれていた方も多かったのだろう。)

 

5日くらいまでにすべてが届いて、それ以上は来なかった。

まあ、自分で何もしないので当たり前だろう。

 

届いた年賀状は父に届けた。

人を使って送っている年賀状でも届くと嬉しいのだろうか?

亡くなった母方の祖母は毎年の年賀状を楽しみにしていて、毎日毎日見ていた。

それでも脳梗塞になり書けなくなったので、ある年突然、終わった。

 

私は年賀状文化を大切にする人で、1枚のはがきにその1年を込めるようにはがき画面を作るのに命を懸けている。

仕事をしているとほとんど、その作業は元旦になり、新年早々、肩がバリバリになりながら年賀状を作っては送っている。

私の年賀状は作品だと思っているので作れなくなるまで作り続けるつもりだ。

 

私らは、まだ老い支度の年齢ではないが、今年は年賀状じまいの挨拶が多かった。

 

「時流に沿ってメールやLINEでのあいさつに代えさせていただきます。」

と書かれているが、たぶん、LINEやメールになると途絶えるんだろうな。

と思う。

そもそも、LINE勢は誰一人、LINEで年賀の挨拶してこないし、メールもしかり。

はがきも値上がりするし、面倒くさいと思うのだろう。

実際面倒くさいが、この年に1度のはがきが繋ぐご縁というのをわたしは大切にしたい派だ。

もちろん、自分で送れる範囲で。

 

父の年賀状はいつまで出すのだろうか?

母も私に依存しているので、結局、みんな他力本願で続けているのが我が家なのだけど。

私自身は自力で描き続けたいものだ。

 

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大晦日の面会

昨年最後の面会は大晦日に行った。

もっと前に行くつもりだったのだが、何かとバタバタしているのが年末でギリギリに予約をとって最後に顔を見に行った。

施設の面会ルールが事前に予約をしないといけないので前日までに連絡をしなくてはいけない。

空いた時間にフラッと行けるようになると面会もかなり楽になるのだが、仕方ない。

これでもかなり緩和されたようだし。

 

事前に13時から14時頃と伝えていたのだが、実際には15時を過ぎてしまった。

父には面会の時間が伝えられていたらしく父はずっと待っていたようだった。

 

ダイソーで買った食べられない鏡餅と年末年始用のおやつを買ってから行った。

父の部屋に行ったら、ゴロンと横になっていて具合が悪いのか?と思ったがそうではないらしい。

でも、トイレに行きたいのに起き上がるのが大変になっていて、ヘルパーさんを呼んで介助をお願いした。

 

晦日なのでヘルパーさんも少なくて、15時までの女性のヘルパーさんが

「お昼ご飯は年越しそばだったんですよ。

ペロリと召し上がっていました。」

と教えてくれた。

お蕎麦も細かく刻まれていて、あんかけのようにトロミをつけたお蕎麦だったようだ。

去年までは自宅で私が作った年越しそばをむさぼり食べていたけれどもう、無理になってしまった。

 

父に「年越しそばだったんだって?」

と聞いても

「そうだっけ?うまく無い。」

と相変わらずの不愛想な返事だ。

施設側でも年末年始は特別食を用意してくれているらしい。

メニューは人それぞれなので父の場合どのようになっているのか?わからないけど。

まあ、きざみやトロミを付けた状態なのでお餅は絶対にありえない。

お餅も今年の初めまで毎朝食べていたっていうのにね。

(危険食なのにある意味すごい。。)

 

お部屋の中はかなり暖かくて、ポロシャツとベストで済んでいるようだ。

自宅が激寒だったので母は裏起毛とかモコモコをもたせていたが、ここでは必要がないようだ。

食事の時に垂らしたり、よだれを垂らすのでいつもベストやカーデガンに染みがついているのが気になるが、上着は毎日のように洗わないのでこれも仕方がない。

 

会話になるか?わからない他愛もないおしゃべりをして帰ってくる。

もう、トイレは介助なし(見守り)では難しくなっているし、車いすが多くなっている。

転倒も多いらしく、この1年で出来ないことが多くなった。

 

父にとっては初めての施設での年越し。

年末年始はスタッフも少なくて大変そうだが、お礼をいってお願いしてくる。

入所当時はあんなに暴れた父が最近はスタッフさんへも態度も軟化しているらしい。

それでも頑固一徹は変わらず、怒ることも多々あるらしいが。。。

 

この状態は自宅介護の限界なので施設入所は仕方なかったけど、、

父にとっては衣食住足りても自宅に居たかったのだろうな。と思いつつ。

2023年最後の挨拶をしてお別れをしてきた。

 

それにしても、本当に!私しか面会に行かない。

こういうものなのか???と思った1年だった。

 

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最後の定期通院

12月の終わりに泌尿器科の定期通院があった。

前回の大動脈瘤のための通院がとっても大変だったので、今回は父には通院時におむつをがっちりつけて院内でのトイレ介助をなくするようにした。

父はおむつを嫌がっていて、施設内ではいまだに紙パンツですら許可がいるくらい履かないので。

 

「娘さんが通院時にトイレ介助するのが大変なので通院外出の時だけおむつをしてください。って言われているのでオムツをしましょうね。」

 

とお願い形式で父に促してもらった。

 

介護おむつをすれば1200CCの尿量も受け止められるし、紙パンツとちがって横漏れもガッチリガードする形なので前回のように万が一、便失禁があっても漏れることはないと伺った。

ただ、がっちり装着するため途中でおむつを交換するのは難しく、多目的トイレで立って交換することはできないので、どこかでベットを借りて横になって交換するしかないらしい。

なので、通院中はトイレはおむつにしてもらう!

トイレは行かないでおむつでしてもらう!ということになる。

ヘルパーさんが万が一に備えて、おむつの替えとパットとお手拭きなどを私に持たせてくれた。

 

泌尿器科の通院は前回と違って予約をとってあるので多少の時間のずれはあるけれど前のように何時間も待つことはないと思う。

なので前回よりは楽になるとは思うのだが、やはり車椅子から車への移乗が苦戦する。

 

施設出発時と施設に戻り時はヘルパーさんに頼んで移乗の手伝いをしてもらったのだが、今回も病院の入り口には案内のおじさんがいないため自力で車椅子に乗り換えさせないといけなかった。

とりあえず、方法は違っているかもしれないが汗だくになりながら、車椅子にのりかえさせて診察に向かった。

 

もう一つ、難題があったのが、泌尿器科なので尿検査があったのだ。

本当なら尿をためて病院で採尿する形式なのだが、ガッチリおむつでは検尿もとれない。

前は自力で採尿できていたが、今は便器への移乗もギリギリだし、座ってのトイレになるためとても自力で採尿ができるとは思えない。

なので、事前に病院に相談して朝、施設で採尿してもらう採尿キッドをもらい施設での採尿をお願いした。

父は尿を貯められないので、最悪朝一の尿でもいいか?と思ったのだが、朝の採尿がとれなくて、前夜の23時の採尿になってしまった。

ヘルパーさんが頑張ってくれたので何も言えない。

 

病院の検査室で検体を渡して事情を説明する。

前の晩の尿でいいのか?確認してから検査に回してもらった。

看護師さんが

 

「次回も持ち込み?採尿になりますかね?

検査キット、お渡ししておきましょうか?」

 

と気を使ってくれて採尿キットをもらってくる。

 

そして泌尿器科の定期観察の診察は

一応、尿検査の結果報告 → 血尿もなかった

あとは父に

「最近どうですか?」

と聞くだけ。

父はウゴモゴ答えて終わり。

本当なら次回の3月に半年後のCT検査なのだが、最近、通院のレベルがめちゃくちゃ大変になった。と医者に伝えると

 

「経過観察はしていますが、何かあっても処置もできないので無理に通院しなくてもいいですよ。

この年齢になってくると癌が進行するというより、脳血管や心臓で何かあることが多いし、大動脈瘤も破裂するとはいわれていますが、ほとんど破裂しないのであとは急変した時に救急に対応してもらうほうがいいでしょう。

心筋梗塞や大動脈瘤の場合は普通に救急車対応で。

血尿などの場合はお電話くれて連れてこられるなら直接きてもらえばいいから、次の予約は辞めておきましょう。」

 

ということになり5年近くに及ぶ泌尿器科の腎細胞がんの定期通院に終止符が打たれた。

 

 

何も積極的治療をしていないので、病状が回復したわけでも完治したわけでもなく。

とくに処置もできないのでお終いという、複雑な最後になった。

 

前(実家にいたころ)は通院を何日も前から楽しみ?にしていたのだが、最近は父もつらいのだろう。

本人も

「通院したくない」

といいだした。

 

5年間、3カ月おきに日程を調整して父と通った病院。

(循環器も通ったので毎月のように通った。)

渦中は面倒でなぜ?私だけ?と思ったけど、それも出来なくなると思うと何とも言えない気持ちが心にわいてきた。

先ほど、もらった次回の採尿キッドだけが残ったが、次回はない。

なんだか複雑な気持ちで父を施設に送っていったのだった。

これもやった人にしかわからない切なさなんだろうな。

 

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相 談

前回の大動脈瘤の診察通院がとってもとっても大変だったので、施設の相談員に相談した。

 

相談員さん曰く

「どこかで妥協が必要なのです。

施設に入居しているということはご家族では面倒が見られないという状況なので

通院は諦めて現状維持だけでいくご家族や逆に一族郎党で休日を合わせて100歳以上のおばあちゃんの通院を一大イベントにするご家族。

また縁故者のない利用者さんはよほどのことがない限り通院できません。」

 

「そして、金銭面の問題もあります。

施設入居で介護保険は全部使ってしまっているので、同行ヘルパーを頼むとしても自費になります。

車椅子タクシーをお願いするにもお金がかかります。

なので、そこまで支払えない。という方はやはり通院は諦める方もいます。」

 

トイレ介助は一番の課題になるらしく、どうしても家族に負担がかかる。

そして、家族は介護のプロではないのでどのように介助していいのか?わからない。

下手に手をだしてトイレで転倒してしまったら元も子もない。

 

おむつをして出かけて病院では一切、トイレに行かない。という手もある。

おむつをするとかなりの量の尿を吸収するし、横漏れなどもなくなる。

ただし、途中でおむつを交換するとなったとき、果たして家族にできるのか?

おむつ交換はベットでするらしく、多目的トイレの赤ちゃん用のおむつ交換台では大人は小さいためできない。

病院によっては空いているベットを貸してくれるところもあるが全部ではないらしい。

大人用のおむつ交換台がトイレにあったとしても麻痺のある老人をどうやってその台に乗せるのか?

とにかく課題がたくさんあるのだ。

 

父は積極的治療をしていないとはいえ、このまま定期通院をやめてなるようにまかせるのか?

でも私一人にどこまでできるのか?

難しすぎる。

ほんの1年前までは自宅から杖をついて車に何とか乗り降りできていたのに、こんなにも状況は変わるものなのか。。。

 

とりあえず、次回はおむつを装着して通院してみることにした。

おむつ、拒否なんだよな。

父。

でも、そこは「通院の時だけ。」とか「娘からのお願い」と言って丸め込んでもらうことにした。

 

おむつをすると結構、外出の幅がひろがるらしいのだが、おむつって人間の尊厳にかかわる問題だからセンシティブなんだよな。

といろいろ考えるのであった。

 

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