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鈴 真由.の徒然なる介護日記

点滴

 

父は誕生日の翌日にまず1日1本(500ml)の点滴をしてみることにした。

その結果、痰が増えたりむくんだりするのであれば中止する。

排尿などがスムーズに出るようになり9月のように復活の兆しがみえるのならば続けてみる。を試すことにした。

 

夕方、仕事中の私に看護師から連絡があった。

 

「朝、やはりお熱が38度以上あって食事もいらないとおっしゃっていました。

点滴を6時間かけてゆっくり1日したら少しすっきりしたお顔になっています。」

お熱は37度代におちています。」と。

 

点滴してよかったのかな?

と悩みながら仕事帰りに父の顔を見に特養に寄った。

 

いつも父は私が行く時間は寝ているが私が声をかけると目は開けてこっちをみてしゃべれないけど意思疎通をしようとするのだが、この日は声をかけても目をあけなかった。

 

硬くつぶったまま時々、苦しいのか?

時々ベットの柵をつかむ。

手を握ると多少の握り返しはある。

声は聞こえているので私が来たことはわかっているようだが、全然、顔を見るというようなこと出来なくなっていた。

 

しばらく手を握って、声をかけるがあまり芳しい反応ではない。

1日でずいぶん状態が変わったな。

昨日は一応、ベット越しに体をおこしてクリームをなめたりしていたのに。

 

呼吸も苦しそうで、この状態はもう今晩何があってもおかしくないな。と私も思った。

 

父の担当の介護士さんもコロナから復活されていて他の人の食事介助をされていたので声をかけたら、

 

「水分だけでも飲ませようとしたんですが、もう、喉につまっているのか飲み込めないのです。

だから、私たちにできるのは口を濡らしてあげることくらいです。

苦しそうなので前のようには介護できないです。」

 

と言われる。

一応、夜中でも急変あれば電話ください。と伝えて帰る。

 

受付を通った時、いつもの受付の方に

 

「今日は妹さんもいらしていましたよ。」と言われる。

 

来館者名簿に妹2号の名前がある。

でも母は来ていない。

 

実家によったら、妹2号がキレていた。

母は今になって元父の部屋に積み上げた段ボールや物をかたずけよう(捨てなきゃ無理だっていうのに)と1日、ガタガタ始めたらしい。

腰が痛い。といっているのにこの場に及んで何をしているのか?

 

私も

 

「今はそんなことしている場合じゃないでしょ?

少しでも意識のあるうちに会いにいかないと何があってもおかしくないんだよ!」

 

と叱責する。

 

母は昨日、大丈夫だったから、明日でいい。と思っているようだが状態は刻刻と変わっている。

 

そもそもコロナと肺炎を中途半端で退院させられて、あとは施設でお看取りしてください。状態なのをわかっていない。

今日の様子を伝えると母は

 

「今から行けるかしら。。」

 

と夜の8時近くになっていいだす。

行けるけど。。

私は朝から1日、仕事をしてから父のところに寄ってやっと帰ってきたんですよ!!

その私にまた車を出せというのか!!

 

仕方なくもうひと往復、母を乗せて施設までいく。

 

「また来ちゃいました。状態がよくなかったので母も連れて」

 

と父の居室に入る。

状態は相変わらず。

 

昨日との違いをみて母も感じるものがあったようで・・

手をごしごし握って

 

「頑張って。パパ」

 

と言っている。

 

いや~父は十分、頑張っているだろうが。。と私は思う。

 

今日はほとんど無反応の父が母に対しては少し、邪見に

 

「う~~ん」と手を払うようなことをするのを見て、相変わらず妻には高圧的なんだな。

でも、まだその余力はあったんだ。と私は思ったりして。

 

さすがの母も息苦しそうにしていて目も開けない父をみてヤバいと思ったらしい。

あんなに父を毛嫌いしていたのに少し憔悴していた。

 

そして帰りの車の中で、、

 

「万が一の時はパパ、一度、家にもどしてあげようか。」

 

とか言い出す。

 

そうしたくても遺体を安置する場所は今の実家にはないし、

そもそも簡素に葬儀を済ますつもりで見積をたてているので実家に搬送。

枕飾りを作ってもらったり、そこから斎場に搬送となるとそもそも予定が狂う。

 

こうやっていざとなると感情が先行していくから、私は前もっていろいろ考えてるっていうのに!!

 

いや~しかし、こんなに急に変わるか。

でも点滴ができるうちは点滴だけでも続けるか?

悩みどころだ。

 

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